いかがお過ごしですか。新座志木教会の杉山です。
旧約聖書の創世記に、エデンの園と言う場所が登場します。どのような場所なのか詳しいことは分りませんが、エデンと言う言葉には「喜び」と言う意味があるようです。そこは歓喜の場所です。けれども、その場所に人を置きました神様は、これではだめだと言われたのです。なぜでしょうか。理由はとても簡単なことです。「人が独りでいるのは良くない」からです。
ここで、私たちは、アダムとエバ、男と女、夫婦と言ったことを考えるかもしれません。また、実際に聖書はこのところで、女性の創造の様子を描いています。けれどもそれ以前の事として、神様が「独りでいるのは良くない」と言われたことが大切です。この言葉は、人間はそもそも、独りでいる状態では、喜びを得られないということを告げているのではないでしょうか。歓喜の場所が、本当に喜びにあふれるためには、人は単独者であってはならないのです。
けれども、わたしたちは、他者、自分とは違う人たちを受け入れることを、とても難しいと感じてしまいます。そして、面倒な思いをするくらいなら、独りが楽だとすら思い始めるのです。
けれども聖書が示しますこと、それは私の目の前にいる他の人。ひょっとしたら、この人はちょっとと思う人が、実は私を助けてくれる人だという事実です。
神様は様々な生き物を人の前におきましたが、いずれも人を助ける存在ではなく、他人が必要だったという単純な事実がそれを示しています。