いかがお過ごしでしょうか、国立聖書教会の野島邦夫です。
「自由」という言葉を聞くと、何か清々しい気持ちになります。「不自由」と聞くと、重苦しい気持ちになります。私たちは自由を求めます。なぜでしょうか。そこに喜びがあることをどこかで知っているからです。自由は、生き生きと生きることと結び付いています。
私たちは今本当に自由でしょうか?
現代は過去のどの時代に比べても、疑いなくはるかに「自由な時代」です。為政者によって暴力的に圧迫されることもありません。科学技術が進んで、自動車や飛行機を使って短時間のうちに遠方まで自由に移動できますし、今やロケットで地上から宇宙に行くこともできます。医学の進歩により多くの病気からも解放されました。食べたい時にいつでも食べられ、飢えから自由になりました。職業も自由に選べます。
あまりに自由すぎて、自由な世界のありがたさ、過去の人たちが苦しんだ不自由が想像できないくらいです。
けれども、何か物足りなさを覚えます。自由が与えるはずの喜びがない。生きているという手ごたえが希薄なのです。ここで挙げてきたような目に見える自由はもちろん大切ですが、それだけでは深い喜びは生まれません。内面的な自由、心の自由がない限りそうでしょう。
今私たちは「自由の時代」に生きていますが、私たちの心は果たして自由でしょうか。