いかがお過ごしでしょうか、国立聖書教会の野島邦夫です。
「自由」とは、束縛するものや制限するものから解放されることです。こう言えば難しく聞こえますが、日常でも普通に使う言葉です。「自由に振る舞う」とか、「職業選択の自由」とか、「貿易の自由化」とか。この意味では今は「自由の時代」です。
けれども、これら身の回りの自由より、心の自由、内面的な自由がもっと大切であると私たちは感じています。身の回りの自由があれば、自由な心、何にも囚われない開かれた心も持てるのでしょうか。これが今日のテーマです。
現代、職業から食べ物に至るまで、特殊なものでない限り、その気になれば、自分が望むものを自由に選んで手に入れることができます。身の回りの自由はあります。しかし、選ぶ時の私たちの心は、ブームや宣伝によって作られた先入観にどれほど拘束され、方向づけられているか、よく考えなくてはなりません。
この点で、宗教はしばしば誤解されます。洗脳して人の心をその宗教に都合よく縛り付けると言われて。宗教がそのような結果をもたらすなら、その宗教は偽りです。
真の宗教は、真の心の自由を与えます。たとい不自由な状況の中でも、自由な心、何にも囚われない開かれた心をいつも持つことができる…。これが、キリスト教信仰が与える恵みの一つです。