いかがお過ごしでしょうか、国立聖書教会の野島邦夫です。
私たちは今大抵、私は自由だと思っています。しかし実際には、心は何と様々なものに囚われているでしょうか。特に、善悪についての、実行を生み出す決意は、生まれながら悪に傾いて堅く囚われています。
ローマの信徒への手紙、7章19、20、24節
「わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。もし、わたしが望まないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。…わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。…だれがわたしを救ってくれるでしょうか」と使徒パウロが言う通りです。
しかし、パウロは「わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。…だれがわたしを救ってくれるでしょうか」に続けて言います。「わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします」(ローマ7:25)と。
キリストは自分の命を懸けて、私たちの悪に傾いた意志を解放して正すために、その原因である創造者神との崩れた関係を正してくださいました。これが、イエス・キリストの十字架の死の意義です。
キリストを信じて、神から「あなたを受け入れた」と言われた時、その時初めて、今まで自分の意志が、心が悪に堅く囚われていたことがわかります。そして同時に、悪に向かって傾き身動き取れなくなっていた古い意志は、善に向かう新たな意志へと解放されます。これが、キリスト教の救い、再生です。