ご機嫌いかがですか、千葉県八千代市にあります勝田台教会の牧師をしております、坂井孝宏と申します。
「情けは人のためならず」なんて言いまして、これは、「人のため」じゃなくて、結局は、「自分のため」なんだと、自分のメリットになるのだから、喜んで親切にしなさい、なんてふうに言われるんですね。
こういう風にして、親切が勧められるというのは、それはそれでいいことですけれども、やっぱりどこか、寂しいですよね。
結局だれも、自分のためにしか生きられないものであるのでしょうか。みんな自分のことで忙しい、自分が一番大切なものなんだ…という、そんな愛の貧しさっていうことが、罪人の現実であると私たちは知っております。
でも、そうであるからこそ、自分自身を打ち捨ててでも、他者のために生きるという、そんな「愛の人」を見たいと、誰もが願っているんじゃないか。
そういう愛で愛されたい。あるいは、そういう愛をもって誰かを愛したいと、願っているんじゃないでしょうか。
イエスの十字架の愛っていうものを、もっと深く見つめてみてください。その愛を真に知るならば、私たちの内に愛の心が生まれます。
ぜひ、こんな言葉を覚えていてください。新約聖書のコリントの信徒への手紙の第二の8章9節の言葉です。
「あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。」
主はあなたがたのために貧しくなられたんです。