おはようございます。坂本明です。私がはじめてキリスト教に触れたのは、約40年前。当時勤めていた会社の友人たちと習い始めた英会話がきっかけでした。
講師が人柄のよいアメリカ人のクリスチャンで、あるとき「土曜日の夕方、教会でも英会話を教えているから来ませんか?少しですが聖書のお話もあります」と誘われて、友人と行くようになりました。
英会話の後、日本人牧師かアメリカ人宣教師による短い聖書の話がありました。
最初、心に響いたのは「初めに神は天地を創造された」という創世記の最初の言葉でした。そして人は「罪」を持って生まれてくること、その罪を持ったままこの世での死を迎えた後では、永遠の滅びに至ること、しかし「キリストを信じ、心に受け入れるならば救われ、永遠の命が与えられること」について少しづつ学びました。
当初、予備知識もなかったので、「罪人、永遠の命」と言われても正直いってピンときません。
罪人とは犯罪を犯し、裁判において有罪を宣告された人のことではないのか。なのに「あなたは罪人です」と言われることにかなり違和感を覚えたのです。頭の中では分かったつもりでも、気持ちの上では納得いかず、そこから先に進めません。
ただ、「初めに神は天地を創造された」との言葉に惹かれ、学びを続けることができました。しばらく疑問点について質問したり、聖書のいう罪について考えていました。そして、ある時「今まで自分は真面目に生きてきたつもりだったが、警察沙汰にならないまでも、悪いことをしたり、考えたりしたことがあった。心が痛むようなこともしたり、言ったりもした。そんなことが次々に思い出されてきて、どうしようもなくなりました。
聖書でいうこの「罪」は、この世で言う「罪」とは次元の違うものであり、突き詰めれば、神に背を向けて生きてきたこと自体が罪だったと気付かされたのです。
神様、確かに私は罪人です。赦してください、と心から祈りました。神様がはるか昔から人類のために用意してくださっていた「キリストの十字架の贖い」と、その「救い」を感謝と共に受け入れる事ができました。ここにたどり着くまでに一年ほどかかりました。
受洗後、信仰を共にする教会員と結婚しました。当時はオイルショック後数年が経過し、所属する会社の事業所では必要な仕事量が確保出来ず、100人以上の従業員が数ヶ月交代で自動車会社へ派遣されるようになっていました。私も第二次で派遣され、期間終了後、同僚3人と帰ってきたら、元の職場には私たちの仕事も机もなくなっていました。そして、2ヶ月後、私は他の事業部に転勤となりました。
結婚後1年弱の慌ただしい日々でしたが、毎週の礼拝には心整えられ、出席することが出来ました。転勤後は海外での勤務や出張など貴重な経験もし、縁あってこの高知で14年間県庁に勤め、5年前に無事定年を迎えました。
長いようで短いこの40年、挫折しそうなこともありましたが、聖書の御言葉に励まされ、よきパートナーである妻や教会の皆さまに支えられてここまで歩んで来れたのは、本当に感謝なことでした。
私は若い頃から趣味で絵を描き、グループ展、クリスチャン展、教会美術展、個展をしてきましたが、リタイア後は教会で絵画教室の講師をする機会が与えられました。現在、6人前後の方が好きなモチーフを持参してそれぞれの感性で楽しく描いています。ここも主の栄光の場として用いられ、集う方々が描く絵からもそれが感じとれるようになればと願っています。
教会はいつもオープンですので、興味のある方は是非いらしてください。
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。(ヨハネによる福音書3:16)