おはようございます。高知教会の小澤寿輔です。木々はすっかり芽吹き、新緑の葉が茂る季節となりました。4月から新年度が始まり、誰もがある意味で新しい気持ちで再スタートしているのではないでしょうか。
新しい年度の始まりにあたり、今朝は、聖書の箴言3章5節6節の御言葉から、ご一緒に聴きたいと思います。
「 心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず/常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば/主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。」
これは、私たちが最善の人生を歩むために神が与えてくださった、とても大切な御言葉です。人生には、ときとして嵐や洪水がやって来ます。しかし、決して揺るがない柱にしっかりとしがみついていれば、吹き飛ばされることも、流されることもありません。そのように、しっかりと私たちを守ってくれるのが、この箴言の御言葉です。
この御言葉は、ある一つの約束をしています。それは「主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる」という約束です。でも、「道筋がまっすぐ」であるとは、どういう意味でしょう。それは、自分にとって最高で最適で最善の人生です。同時に、神が喜んでくださる人生です。
それでは、どういうとき、あなたの人生は、まっすぐにされるのでしょうか。それには二つの場合があります。
第一に、「心を尽くして主に信頼」するとき、また同じ意味で「自分の分別には頼ら」ないときです。この二つの言葉は互いを補い合っています。「自分の分別には頼ら」ないときというのは、つまり「心を尽くして主に信頼」するときです。
私たちは、会社においても家庭においても「ああしよう、こうしよう」と自分の意志や考えを強く持っているときには、だいたい自分の力に頼っているときではないでしょうか。
だいたい、人の考えというのは、自分の知識や能力や経験が基準になっています。一方、神はご自分の選ばれた民に、声をかけ、悟りを得させ、最善の道に導こうとされています。
しかし、私たちが自分の考えを優先してしまい、あるいは人の能力に頼ってしまうと、この神の導きを悟ることができません。そして、主の用意しておられる最善の道を逃してしまうことになってしまいます。
ですから、私たちは神の御前で自分の知識や能力や経験を放棄しなくてはなりません。
主の御前に降参しなければなりません。自分には力がないことを認めてうなだれるとき、私たちは主により頼むことができます。まず手を休めて静まって、神に祈る時間を持ってみませんか。
第二に、「常に主を覚えてあなたの道を歩くとき」です。「主を覚える」とは、原語のヘブライ語で「主を知る」という意味です。これは、私たちが一般的に言うような、ただ頭で知識として「知る」という意味ではなく、「親密な関係になる」という意味です。
どこに行くにしても、何をするにしても、いつも主なる神と親密な関係を持っていくのです。
まず、日曜日には教会に行き、神を礼拝しましょう。また、神と会話をしましょう。祈りによって神に語りかけてみましょう。そして、神の口から出る言葉である聖書を読むことによって、神の語りかけをいただきましょう。
今朝この放送を聴いておられるあなたが、主に信頼し、主を覚えて、まっすぐな人生、すなわち神に喜ばれ、神の御目に最高で最適で最善の人生を歩むことができるようになることを、お祈りいたします。