おはようございます。清和女子中高等学校の山脇克之です。今朝も主の聖日を皆様と共に迎えられたことに感謝します。
今日読んだ聖書箇所は、神様の愛と、神様が私たちに示してくださった希望について、はっきりと記しています。
まず、「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」とあります。神様は、その独り子、イエス・キリストをこの世に遣わされました。何のためにイエス・キリストはこの世に遣わされたのでしょうか。
続きに、「独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」とあります。イエス・キリストがこの世に遣わされたのは、私たちの罪の赦しと、私たちを永遠の命へと導くためでした。
十字架にかけられたイエス・キリストは、3日後に復活され、40日後に天にのぼられました。イエス・キリストは、その姿を通して、この世での死で全てが終わるのではなく、神様によって永遠の命が与えられることを示してくださいました。そして、イエス・キリストを信じるならば、私たちも同じように、永遠の命が与えられることを約束しているのです。
2015年11月10日、私の母は天に召されました。70年という短い人生でしたが、今思い返してみても、最後のその時まで、常に母のもとには神様がいて、母を支え導いてくださったと思います。
母が倒れた日、私は帰宅が遅くなったのですが、私が帰るまで、母は目を閉じることなく待っていました。脳出血のために倒れ、出血が止まっても、意識が戻ることはないと言われたのは、病院でCTを撮った後でした。本当なら倒れた直後に意識がなくなってもおかしくない状態だったと思います。しかし、母は私が帰宅するまで待ってくれました。私の声を聞いた後、安心したのでしょうか、ゆっくり目を閉じ、再び目を開くことはありませんでした。
その後、何度か危険な状況に陥りましたが、最後の時まで神様が母を支えてくださったように思います。
東京にいる姉が、仕事の都合をつけて深夜の夜行バスで高知に帰ってくることになり、ちょうど姉からバスにのったと連絡が入った頃、母の血圧が下がりはじめました。担当医からは、この状況だと朝までもちません、と言われましたが、姉が高知に着くのは次の日の朝9時30分の予定でしたので、どうにもならない時は、薬を使って強制的に血圧をあげると担当医が言ってくれました。
その日は一睡もできず、時計ばかりを気にしていましたが、担当医から何の報告もなく朝を迎えました。朝の6時に病室に行くと、薬を使うことなく、血圧が平常に戻っていました。この時は本当に安心しました。これで姉も間に合うと思ったからです。
その後、1週間、母は頑張ってくれました。母が息を引き取ったのは、姉が東京に帰る予定にしていた日の、空港に向かう1時間前でした。最後の時を、できるだけ長くという母の思いと、家族が一緒にいられる時間を、神様が与えてくれたのかもしれません。
母が亡くなるちょうど1年前に、父親は入院している病室で洗礼を受けました。その時に、父が言った言葉を思い出しました。
「これで、自分がどこにいくのか、何を目的に生きるのか分かった」と言ったあと、「これからもずっと家族と一緒にいられる」と言ってくれました。これが神様の示された希望だと思います。
罪が赦され、永遠の命に生きる希望は、確実に全ての人に約束されていると信じます。生きている時も、この世の務めを終えた後も、神様が私たちを愛して下さり、いつまでも養ってくださるのです。
母は今、天国で神様のもと、心やすらかに過ごしています。
イエス・キリストを通して、神様が私たちに示してくださったのは、私たちの罪の赦しと、永遠の命にいたる道でした。
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」
神様は今も、そしてこれからも、私たちを愛し、養ってくださいます。毎日の生活の中で、神様がいつもそばにいて私たちを支えてくださっていることに、私たちを永遠の命へと導いてくださっていることに感謝したいと思います。