いかがお過ごしでしょうか。東京練馬の光が丘キリスト教会で牧師をしております、尾崎純と申します。
キリストは、天国を、畑に隠された宝にたとえました。天国とは隠されたものであるというのです。確かに、私たちの目に映る世界は天国のような場所には見えません。
ただ、普通にしていれば目に映らないところに、それも、畑を耕すという日常の務めをしている最中に、宝を偶然見つけることはあるとキリストは言います。けれども、その畑は自分の畑ではなかったので、自分の持ち物を全部売り払ってお金に換えて、そのお金で畑を買って、畑に埋まっている宝を自分のものにした、というのです。天国というのはそのように、私たちが何としてでも、すべてを売り払ってでも、手に入れるべきものであるというのです。
ただこれは、持ち物をすべて売り払わなくては天国に入れないということではありません。すべてを売り払って宝を手に入れた人は、結局はもともと持っていた以上の財産を手に入れたのです。この人は、見つけた宝が自分の持ち物全部よりも値打ちがあると思ったからこそ、持っているものを全部売って、畑を買ったのです。
ですから大事なことは、すべてを売り払ってもいいくらいの無上の価値が天国にはあると認めることができるかどうかです。もしそう認めることができるなら、私たちは大喜びで、それを手に入れることになります。手続きは簡単です。価値の低いものを手放して、本当に価値のあるものだけを求めることです。