皆さんお元気にお過ごしですか。私は茨城県つくば市東、谷田部東中斜め向かい、筑波みことば教会牧師の小堀昇です。朝のお忙しいひと時、少しお耳を傾けていただけませんか。ラジオを聴いておられる運転中の皆さん、どうぞセイフティドライブでお出かけください。
さて、私たちの口から出る言葉、それが人生を駄目にしてしまうことはよくあることです。言うべき時にはっきりと言わないこともありますけれども、一番大きい問題は、言わなくてもいいことをついつい言ってしまう、そこにあるのではないでしょうか。そして人間関係が壊れてしまう。そして人から憎しみを買ってしまう。そのようなことは、よくあることだと思います。
私たちの耳や私たちの鼻がどんなに悪くても、人間関係を複雑にするということはまずありません。しかし、口は違います。しばしば、大きな問題に発展してしまいます。呪われたら呪い返し、罵られたら罵り返す。これが人々の現実であるかもしれません。
しかしイエスは、人間のどうしようもないこの言葉の応酬の歴史に、まるで終止符を打って下さるかのように、多くの人々に否定的な言葉ではありません。肯定的な、福音をお語りになりました。ある時は荒れ野で、ある時は神殿で、ある時は家の中で、ある時は山の上で、ある時は人々に、福音を語りました。
そしてあの十字架の、最後の苦しみの中にあっても、決して人を呪うことはなく、
「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」ルカによる福音書の23章で、聖書は言っています。
「私たちは『賛美と呪いが同じ口から出ている』。」(ヤコブ3:10参照)ヤコブはこのように言っているのです。
言葉において失敗する者です。だからこそイエス様を見上げて、イエス様に倣って、人を生かす言葉、それを語る者でありたいと思います。