おはようございます。仙台教会の風間義信です。
来週の水曜日は春分の日です。この季節の変わり目に、キリスト教会ではその次の週に受難週という大切な時を迎えようとしています。この一週間は一年の中で最も大切な一週間と言っても言い過ぎではありません。
受難週、難を受ける週ということですが、これはイエス・キリストの受けられた十字架の苦しみを深く思う時です。でもそれはどれほど辛かったのか、大変だったのかと想像するためだけにあるのではありません。その苦しみが、私のためであったと信じるためです。
聖書は「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと」(1コリント15:3)と伝えています。
その私たちの罪は死に至るものです。人が必ず死ぬのはその罪の結果です。だからこそ、イエス・キリストはその死に至る罪を、御自身が身代わりになると引き受けてくださいました。それが十字架による苦しみです。
どんな人でも、やがていつか死を迎えなければなりません。けれども、それはもはや自らの罪によって死ぬのではありません。苦しみはすべてイエス様が引き受けてくださいました。そのことを十字架に見るからこそ、私たちは安らぎの中に憩うことが許されているのです。