いかがお過ごしですか。三川栄二です。
わたしたちは、自分が一生懸命に果たした働きが空しく終わってしまったのではないかと残念に思ったり、焦る思いを抱くことがあります。熱心に取り組んだのに、喜んでもらえなかったとか、感謝されなかったとか、何も成果を見出すことがなかったということで、結局自分の働きは無意味だったのではないかと落胆することがあります。家族にしてあげたことや友人のためにしてあげたこと、あるいは教会での奉仕などが何の実りも見い出すことができずに、空しく感じてしまうということがあります。
預言者イザヤも同じことを感じたようでこのように語っています。「わたしは思った。わたしはいたずらに骨折り、うつろに、空しく、力を使い果たした、と。」(イザヤ49:4)
けれどもイザヤはそれでとどまるのではなく、こう続けました。「しかし、わたしを裁いてくださるのは主であり、働きに報いてくださるのもわたしの神である。」(同上)と。
たしかに見えるところは何の成果を生み出すことがないように思える働きも、それを実らせてくださるのは神です。わたしたちは種を蒔きますが、神がその蒔かれた種を成長させて、実を実らせていってくださいます。
ですから、自分が置かれた場所で自分がなすべき働きを忠実に果たしていくとき、必ず実りが与えられます。神が始められた働きは空しく終わることは決してありません。そのことを信じて今週も自分に委ねられた務めを忠実に果たし続けていきましょう。