いかがお過ごしでしょうか。東京練馬の光が丘キリスト教会で牧師をしております、尾崎純と申します。
新約聖書のコリントの信徒への手紙一の15章20節以下を読むと、コリントの教会には、復活を信じていない人たちがいたことが分かります。コリントの教会の人たちはキリストが復活したことは信じていました。しかし、自分たちがキリストに続いて復活するということは信じていませんでした。肉体は死んだまま、魂だけが永遠の命にあずかると信じていたのです。
これは日本の多くの人たちも同じように考えているのではないでしょうか。お葬式などで、「これからはいつまでも天国から見守ってくれるよ。」という言葉を聞くことがあります。
それについて聖書は、そうではない、と言います。聖書のこの個所では、アダムとキリストが並べられて考えられています。アダムは旧約聖書に登場する最初の人で、人間の代表です。「アダム」という言葉は「人間」という意味の言葉です。人間が罪を犯した結果、人間は神のもとにいられなくなり、死に定められました。
しかし、キリストが私たちを代表して罪に対する罰を私たちの代わりに受けてくださった。そして、復活してくださった。そのことを信じるなら、私たちも、一度は死ぬけれども、その後に復活する。魂だけがどこにあるか分からないような遠くに行ってしまうということではありません。私たちも、キリストに続いて、死を越えて、神のもとに生きることになるのです。