いかがお過ごしでしょうか。東京練馬の光が丘キリスト教会で牧師をしております、尾崎純と申します。
新約聖書のローマの信徒への手紙の6章2節には、洗礼を受けた人は罪に対して死んでいると書かれています。それは、6節の言葉で言えば、私たちがもう罪に支配されていないということです。ただ、私たちは、それをなかなか実感することはできません。私たちの実感としては、いえこれは事実そうでもありますが、確かに罪というものが私たちの内にあって、ものすごい力で私たちを支配しようとしています。
けれども、11節にはこう書かれています。「あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい。」そのように考えなさい、ということなのです。実感できなくても事実なのだから、そう考えなさい、と言うのです。私たちが新しくされたということは、自分では実感できないことかもしれません。けれども、最初から、実感しなさい、実感できなければいけませんとは言われていないのです。むしろ、自分の実感によって生きるのではなく、神の次元での事実を生きていくように求められているのです。
神の次元での事実として、私たちはもう、罪に支配されてはいません。その神の事実に支えられて、私たちは残された罪と戦っていくのです。勝利を約束された戦いを、生涯、戦い続けていくのです。