いかがお過ごしですか。新座志木教会の杉山です。
ヨハネによる福音書の1章6節以下に、洗礼者ヨハネについて書かれたところがあります。この人の役割は証しをすることだと記されています。
証しとは、証言のことです。「これこれのことが確かにありました、私はそれを見ました。」と人々に話すのが証言者の役割です。しかもヨハネは、ただ淡々と証言者の役割を果たした、というよりは、もっと積極的に心を込めて、あるいは全力を尽くして「声を張り上げて言った。」(15節)と聖書は書いています。
では彼はいったい何をそれほど大声で叫んだのでしょうか。それは「この方は私より優れている、私より先におられたから」という言葉です。では「私より先におられた」とは一体何のことでしょうか。生まれた順番で言えば、ヨハネが先であり、その6ヶ月後に主イエスが生まれました。その意味ではヨハネのほうがお兄さんです。
しかし、そのヨハネは主イエスのほうが先にいた、と言います。その意味は「主イエスこそ、ヨハネだけではなく、すべての人々よりも先に存在していて、神様とともにおられた方であって、神様のすべての栄光と、恵みと、満ち溢れる豊かさを自分のものとして持っておられる方だ」という意味です。
ヨハネは、このことがよくわかったので、声を張り上げたのです。主イエスは、「私より優れており、私よりも先におられた」(15節参照)。私たちもまた、このヨハネの声に声を合わせて、主イエスのすばらしさをほめたたえたいのです。