おはようございます。松山教会の久保浩文です。
私たちは、年齢に関係なく、さまざまな夢や希望をもっています。子供の時には、将来何になりたいか、と聞かれます。成長するにつれて夢のかたちは変わっても、夢をもって生きられるのは、すばらしいことです。
アンジェラ・エルウェル・ハントという人の書いた「3本の木」という絵本があります。
ある山の頂に3本の木が、空高く聳え立っていました。ある時、彼らは、将来の夢について語り合いました。一番目の木の夢は、世界一きれいな宝箱になって宝石を一杯入れることでした。二番目の木は、「世界一大きな船になって、海の上を駆け巡るんだ。」と熱く語りました。三番目の木は、「世界一せいたかのっぽの木になって、わたしを見る人が神様のことを思い出すような木になりたい。」と語りました。時が過ぎ、小さな3本の木は、立派な大木に成長しました。
ある日、三人の木こりがやってきて、それぞれ品定めをしながら、3本の木を切り倒していきました。一番目の木は、「これで立派な宝箱になれる。」二番目の木は「大きな豪華客船になれる。」などと心に思い描いていました。
一番目の木は、金銀、宝石を入れる宝箱ではなく、家畜のえさを入れる飼い葉おけになりました。二番目の木は、大海原ではなく、湖に浮かぶ、小さな漁船になりました。三番目の木は、ただ四角い材木にされ、無造作に積み上げられました。それから何年もたって、3本の木は、自分たちの夢のことなど、すっかり忘れていました。
ある日、一組の夫婦が生まれたばかりの赤ちゃんを飼い葉おけに入れました。その時、木は気づきました。「自分は世界で最高の価値のある宝物をお入れしているのだ。」と。
ある日、一人の旅人と弟子たちが二番目の木で作った小さな舟に乗り込んで、湖の向こう岸へ渡ろうとしました。旅人は疲れからか、すぐに眠り込んでしまいました。しばらくして急に激しい嵐が起こって、舟は波にのまれそうになりました。すると旅人が立ち上がって「しずまれ。」と言いました。たちまち風も波も静かになりました。その時、木は「自分は天地を治める王をお乗せしているのだ。」と思いました。
ある人が、積み上げられている三番目の木のところに来ました。木は、大勢の人の嘲りの声の飛び交う中、鞭打たれる人によって担がれていきました。その人は木にくぎで打ちつけられて丘の上にさらされ、息を引き取りました。
3日たって、日曜日の朝になりました。大地が喜びに震え、神様の愛ですべてが変えられたことを三番目の木は知りました。神様の愛で、一番目の木は真に美しくなりました。二番目の木は、神様の愛で真に強くなりました。そして、人々が三番目の木のことを思う時、神様のことを考えるようになったのです。それは世界一高い木になることよりも素晴らしいことでした。
夢はいつもかなうとは限りません。むしろ人生は、思いがけない方向に進むことも多いのです。しかし、私たちがどのような人生を歩んだとしても、イエス・キリストが共におられるなら、キリストが私たちの歩みの全てを祝福してくださり、意味のある人生へと導いて下さるのです。
聖書はこう言っています。「わたしにとって、生きるとはキリストであり死ぬことは利益なのです。」(フィリピ1:21)