おはようございます。清和女子中高等学校の校長の小西です。
しばらく前のことですが、ある大学の研究機関が、今ある職業の47%が10年後にはなくなるとの研究発表をしました。一番の理由は人工知能AIによって、今人間がしている仕事をコンピューターや機械が代わってするようになるからです。
言い換えると人間がいらなくなるのです。
ただ世の中が便利になって、それまであった職業がなくなるというのは、今に始まったことではありません。明治時代以降、工業化や教育が盛んになって、なくなった職業がたくさんあります。その一つに代書屋があります。代書屋は文字が書けない人や文章を書くのが苦手な人に代わって、役所に出す書類や個人的な手紙を書くのを仕事にしている人でした。
私は代書屋が落語などに出てくる過去の職業で、今はもうないと思っていました。しかし、今の時代だからこそ、個人的な手紙をその人に代わって書く仕事が必要なことを、ある小説を通して知りました。それは小川糸さんの「ツバキ文具店」です。
主人公の雨宮鳩子はポッポちゃんと呼ばれ、ツバキ文具店と代書屋を営む祖母によって厳しく育てられます。子どもの頃は祖母の厳しさに耐えていた彼女ですが、年頃とともに反発をしてやがて家を出ていきます。その彼女が祖母の死に直面して、ツバキ文具店と代書屋を継ぐために戻ってきました。
「ツバキ文具店」を読んでわかったことがあります。それは字の書けない人がほとんどいない、通信手段やコミュニケーションをとる方法がたくさんあり、しかも手紙のようにやり取りに時間がかからない時代に、なぜ代書屋という仕事が成り立つのかという理由です。むしろ便利な時代だからこそ、代書屋という職業は必要なようです。
通信方法やコミュニケーションをとる方法はいくらでもあります。その時代にあって多くの人が悩んでいるのは人間関係です。人間関係がうまく築くことができないで悩んできた人はたくさんいます。私もその一人です。
これまでのことを考えたとき、自分の思いや考えが、もう少しうまく伝えられたら、こんなことにはならなかったと思うことがいくつもあります。言葉が不適切であったために誤解をされたことがあります。また逆に相手の言葉をきちんと受けとめられなかったり、誤解して受け取ったりして、そのために悩むこと、仲たがいをすること、腹を立てること、恨んだりすること、残念ですが何度もありました。
ツバキ文具店の鳩子がそうでした。祖母との関係がトラウマとなって、人間付き合いが苦手でした。鎌倉に戻ってきてからも多くの人とかかわりを持つことに躊躇をします。その自分が誰かの代わりに手紙を書いて、その人の思いを伝えることなどできないのではないかと悩みます。
その彼女が、知り合いから鎌倉のお寺を歩いて巡る行事に誘われます。
はじめ鳩子はできるなら断りたかったのですが、そうもいかず、仕方なく参加します。参加者はみんな年上の人でしたが、運動不足の彼女よりはるかに元気で、歩けないといえば格好が悪いので、がんばって歩きます。
大きな声で歌いながら山道を歩く、というのは何か格好が悪く恥ずかしいように思っていました。でもやってみると思いのほか爽快で、病みつきになりそうでした。そこに一人で歌う時には味わえない喜びがあることに気づかされます。
鳩子は山道を登ったり下ったりする中で、土の香りを嗅ぐことになりました。そして次のような感想を漏らします。
「ふだん眠っている脳みそのどこかを激しく揺さぶられるのを感じた。途中からやっぱりこの行事に参加してよかったと思えるようになった。」のです。
私が3月までいた学校も、そして4月からいる今の学校も、学校行事を大切にします。行事へのかかわり方はそれぞれ違います。
中心的な働きをしている人、責任を感じている人、うまくいかないことに焦っている人、周りが一生懸命になればなるほど冷めていく人、自分には関係ないと距離を置く人などです。
それでもそうした違いを超えて、行事は参加した人だけが持てる達成感と喜びをもたらせてくれます。行事に参加することで、一人ではなく共に生きることの喜びを知る人になることができます。
そう考えると、学校や周囲で行われる行事というものが、神様が用意をしてくれた成長と人間関係に強くなるチャンスに思えてくるのです。せっかく用意されたものを使わない、それほどもったいないことはありません。