おはようございます。清和女子中高等学校の校長の小西です。
子どもの頃の私の服装・スタイルは、母のこだわりによって決まりました。
特にこだわったのは靴で、母の口癖は「オシャレは足元から。どんな靴を履いているか、それがきちんと手入れをされているか、どんな履き方をしているか、それでその人間の値打ちがわかる。」でした。手入れについてもうるさく言われました。
革靴はきちんと手入れをしなかったら、すぐに傷ついたり傷んだりします。きちんと手入れをすると、何とも言えない、いい雰囲気になります。母が靴にこだわったのは、足元をしっかり見つめることのできる人になってほしかったからでしょう。私が願いどおりに育ったかどうかはわかりません。でも確かに靴の手入れをしっかりすること、足元に気を配ること、これは身についています。
今でも思い出すのが小学校4年生の時の靴との衝撃的な出会いです。新しく買ってもらったのが、全体が白で甲の部分が黒い、いわゆるサドルシューズです。これを履いた瞬間、足元が軽くなったというのか、飛び上がりたくなったのです。靴一足で気持ちがこんなにウキウキするのかと思いました。
こうした子どもの頃のことを思い出したのは、靴との出会いによって人生を変えた主人公が登場する小説を読んだからです。宮下奈都さんの「スコーレNo.4」です。
主人公の麻子は自分には取り立てて何もない、平凡な人間だと思っていました。何となく大学を決め、何となく英語ができるということで貿易会社に就職します。けれど自分の思いとは関係なく、輸入高級靴店に出向させられます。願わない職場とうまくいかない人間関係、満員電車を乗り継いでの出勤、そして夜クタクタになって帰ってくる、その繰り返しに充実感も満足感も持てませんでした。
それでも主人公は自分にできることは何かと考えました。
そこで始めたのが早番の出勤の時に、店内の掃除や床マットを徹底的にきれいにすることです。そして店内を見て回り、商品知識を増やすことでした。
ある日、次第に心をゆるしてくれるようになった同僚の1人が、店の中央に陳列してある靴を履いてみたらと勧めてくれました。主人公は言われるままにそうします。
そして二歩三歩歩いてみます。あまりの心地よさに声が出そうになりました。
足の動きに靴が完全についてきます。土踏まずにぴたっと吸いつくような感じは、今まで知らなかった感触です。重いのに軽い、存在感はあっても歩く邪魔にはなりません。それどころか、はだしよりも気持ちがよく、どこまでも歩いていけそうな気がします。自然に笑みがこぼれてきたのです。
イヤイヤ働き始めた靴店での、一足の靴との出会いが、主人公の心の封印を解き、世界を変えることになりました。靴に対する見方がぐるりと回転し、同時に主人公の考えや生活も回転し始めたのです。主人公は働くことに積極的になっていきます。
それと同時に主人公が持っている才能が表に出てきます。
例えば、値段表を見なくてもその靴の値段がほぼわかるのです。その才能が店の窮地を救うことになりました。主人公はその靴店で次第になくてはならない存在になっていきます。
3年後、本社に呼び戻されることになります。かつて希望した本社勤務です。喜んでいいはずです。しかし、今の主人公には何の魅力もありませんでした。主人公は新しい場所でも自分が生き生きとやっていけるとの自信を一足の靴との出会いから持つことができました。そして新しい世界へと旅立っていきます。
主人公がすべてに行き詰まった時に始めたのは、毎日の生活の中で自分にできることは何かを考えたことです。足元をしっかり見て、それに精いっぱい取り組んだのです。それを繰り返す中で、主人公を見る周囲の目が変わり、何より本人が変わっていきました。
そこに、目に見えない力が働いたと言えます。そういう形で神様の力と助けが働いたのです。主人公の生活はそれまでとは違うものになっていきました。
その人にとっての大切な出会い。それは日常生活の中にあるということです。日常生活を否定するところやワープしたような場所には、決してありません。神の奇跡は日常生活の中に隠れているのです。
そう考えると、毎日がこれまでとは違ったものに見えてきます。
積極的に生きようとの思いがあふれてきます。