メッセージ: 藁にもすがる思いの前で(マルコ6:53-56)
ご機嫌いかがですか。日本キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、日本キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。
「藁にもすがる」という表現があります。万策尽きて、頼るものがなく、到底頼りにもならない藁にさえもすがろうとする切羽詰まった有様を描くときに使う表現です。
もし、切羽詰まった状況にある人から、「藁にもすがる思いで、あなたのところに助けを求めてやってきました」と言われたなら、これほど失礼なことはないでしょう。頼りにならない「藁」と評価されながら、それでもその相手を手助けするとしたら、これはよほど寛容な人です。
もっとも、この場合は、万策が尽きている状況の方に重きがあるのでしょう。普通なら藁を頼りにする人はいません。しかし、藁にでも頼りたいとするなら、それは本当に窮地に追い込まれた状況です。そのような切羽詰まったところにいる人が、藁にもすがっている姿を見て面白がるとすれば、それもまた大変失礼な話です。それほどの窮地にある人を見捨てるわけにはいきません。
ことわざの本来の意味からは離れますが、逆に言えば、人は万策尽きないと、藁に目を向けることはないということです。もちろん、藁が藁のままであれば、目を向けようが、手を伸ばそうが、何の助けにもなりません。しかし、普段は目もくれなかったものが、実は人生の窮乏の時に助けとなることは、大いにあり得ることです。自分には頼れるものがたくさんあるから安泰だと思っているとすれば、その分だけ、本当に頼りになるものが何であるか、見えてこないのではないかと思います。
藁にもすがるような状況の中で、ほんとうに頼りになるものに出会えるとすれば、これほど幸せなことはないでしょう。イエス・キリストの時代に限らず、今の世も含めて、どれだけの人が、窮地の中で、まことの救いに出会うことができるのでしょうか。
それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書 マルコによる福音書 6章53節〜56節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。
こうして、一行は湖を渡り、ゲネサレトという土地に着いて舟をつないだ。一行が舟から上がると、すぐに人々はイエスと知って、その地方をくまなく走り回り、どこでもイエスがおられると聞けば、そこへ病人を床に乗せて運び始めた。村でも町でも里でも、イエスが入って行かれると、病人を広場に置き、せめてその服のすそにでも触れさせてほしいと願った。触れた者は皆いやされた。
先週はガリラヤ湖の上を逆風に行き悩む弟子たちの様子を学びました。その弟子たち一行がたどり着いたのは、ゲネサレトという土地です。6章の45節で、イエス・キリストが弟子たちを強いて舟に乗せて送り出した先はベトサイダでしたが、実際にたどり着いたのはベトサイダよりはずっと西のゲネサレト地方でした。ガリラヤ湖を時計の文字盤に例えていうなら、12時の方角へ行こうとしたのに、9時の方角に着いてしまったのと同じです。きょうはそのゲネサレト地方でおこった出来事が記されている個所です。
実はきょうのような聖書の個所は、それだけでメッセージを組み立てるには向いていない箇所かもしれません。礼拝で取り上げられるときも、ここだけ取り上げると言うことはまれです。たいていは、その直前の個所と一緒に朗読されて、湖上を歩いて弟子のもとに近づくイエス・キリストのことが説教の中心になるのではないかと思います。
確かにマルコ福音書を読んでいると、きょうの個所は山場となる出来事の間にはさまれた谷間のような部分です。イエス・キリストの評判については今までにも何度となく繰り返し書き記されてきました。ですから、あえて何度も取り上げる価値のない個所のようにも思われます。
しかし、こうしたキリストの評判を飽きることなく記しているマルコ福音書の記事には、やはり見逃してはならないメッセージが含まれています。
マルコ福音書を今までずっと学んできましたが、イエス・キリストの活動と共に、その活動によって起こされたキリストの評判が、何度も書き記されてきました。キリストの評判を最初に記したのは、1章の28節でした。そこには短くこう書かれていました。
「イエスの評判は、たちまちガリラヤ地方の隅々にまで広まった」
その結果、人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を皆、イエスのもとに連れて来て、町中の人が、戸口に集まるほどになった様子が描かれています。
そののちイエス・キリストの評判はガリラヤ地方に留まらず、ユダヤ、エルサレム、イドマヤ、ヨルダン川の向こう側、ティルスやシドンの辺りからもおびただしい群衆が、イエスのそばに集まって来たとマルコ福音書は記しています(マルコ3:7-8)。
こうしたキリストの評判は、故郷のナザレを別にすれば、ほぼ一貫して民衆たちの間に広まっていった様子がマルコ福音書には描かれています。ただ、故郷のナザレでは、人々の不信が大きくて、わずかなことしかできなかったと報告されています(マルコ6:5)。
やがてイエス・キリストの評判は、12人の弟子たちを遣わすことによって、ますます広まっていきました。その噂はとうとう領主ヘロデの耳にも届くほどになるほどで(マルコ6:14)、群衆たちもイエスを見つけては、その後を追い掛け回すほどです。
きょう取り上げた個所はまさにそうした一連の記事の流れの中にある出来事と言うことができます。ただ、ここでもう一度思い起こしておきたいのいは、そうした群衆たちをイエスがどうご覧になっていたのかと言うことです。
すでに、学んだ通り、イエス・キリストは群衆たちを「飼い主のいない羊」とご覧になり、彼らを深く憐れまれました。前に学んだ5千人の人々への給食の話は、キリストが民衆を憐れむこの心に根差しています。
さめた目で群衆たちを見れば、それは烏合の衆のようかもしれません。噂に動かされて、キリストの後を追い掛け回すに過ぎない者たちかもしれません。
しかし、イエス・キリストにとっては、彼らは深い憐れみを受けるに十分な存在だったのです。きょう描かれる群衆の姿もキリストの憐れみを本当に必要とする姿です。
イエスがやってきたと知るなり、すぐに人々はその地方をくまなく走り回り、どこでもイエスがおられると聞けば、そこへ病人を床に乗せて運び始めたほどです。せめてイエスの服のすそにでも触れたいと思うほど、切羽詰った人々です。
もちろん、病気を癒していただくと言うご利益だけを求めてイエスのもとへ来ているのだとしたら、それはイエス・キリストを正しく理解しているのだとはいえないかもしれません。しかし、たとえそうであったとしても、彼らでさえ気が付かない魂の叫び、心の渇きをイエスはご覧になっていらっしゃいます。
キリストに対する身勝手な期待に応えることは私たちのなすべきことではありません。しかし、一人一人が抱えている魂の飢え渇きに、耳を澄まして聞き入ることの大切さを忘れてはなりません。イエス・キリストが群衆をご覧になったように、私たちも一人一人が抱えている魂の問題に敏感に反応するものでありたいと願います。そして、わたしたちにできることがあるとすれば、それは、救い主であるキリストを指し示すことだけです。
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