おはようございます。ご機嫌いかがでしょうか。新所沢教会の牧師、長田と申します。
今週、このあさのことばでは、イエス様というお方について、改めて考えてみたいと思っています。
イエス様はどういうお方か、そのことを考えるために最も手近な方法は、イエス様が何と呼ばれているか、その呼び名について考えることです。
私たちは皆、名前を持っています。多くの場合、その名前は、親が子どもに「この子がこういう人になるように」と願いを込めて名付けたものです。日本語では「名は体を表す」という言葉があります。名前はその人の本質を表しております。人間の場合「名前負け」ということがあるかもしれません。つよし君が気が弱かったり、ふとし君が痩せていたりするかもしれません。
けれども、イエス様に限ってはそんなことはありません。なぜなら、イエス様の名前は人間ではなく、神様が名付けた名前だからです。イエス様とは一体誰なのか、何者なのか、そのことを私たちにはっきり示すのがそのお名前なのです。
イエス様のお名前はそもそも「神は救い」という意味の言葉です。「神様が私たちを救ってくださる」、そのことを実現するのがこの「神は救い」という意味の名前を持つお方なのです。イエス様は私たちを救いを実現してくださる。今朝は、イエス様についてのこの最も基本的な、そして最も大切な理解を確かめました。
聖書をお読みします。「マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」(マタイ1:21)