おはようございます。福島教会の細田眞です。
主イエスのたとえ話は、わたしたちに、当時のパレスチナの人々の生活を彷彿とさせます。
ある女性が10枚の銀貨のうちの1枚を無くしてしまいます。当時の家には窓がありませんでした。昼間でも暗い部屋を照らすために、彼女はともし火をつけました。そして家中の床を掃いて捜し回ったのです。たった1枚の銀貨といっても、彼女にとってはかけがえのない1枚です。(以上ルカ15:8-10参照)
わたしたちは自分のことを、何の取り柄のないつまらない人間であると考えていないでしょうか。こんな取り柄のない自分は神から愛されるはずがない、と思い込んでいないでしょうか。しかし神はわたしたちとは全く違った見方をされます。神はわたしたちひとりびとりを、失われてならないひとりびとりであると見なされます。
ですから神はこのわたしを見いだすために、どこまでも捜し続けられるのです。ちょうどたとえ話に出てくる女が、1枚の銀貨を見つけるまで捜し続けたようにです。そしてこのわたしを見つけだされた時に、天ではこの上もない大きな喜びがわき上がるのです。失われた者が見いだされることは、神にとって、他の何ものにも代えがたい喜びなのです。