おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。
イメージとして、愛は体のどこに宿っていますか、と問われたならば、間違いなく胸を指して、ここに愛が宿っています、と答えるでしょう。愛は心に宿るものであり、心は胸の奥にあるものと、誰もが感じているからです。頭を指して、わたしの愛はここにありますという人はいません。
ところが、聖書には面白い表現があります。「知る力と見抜く力とを身に着けて、あなたがたの愛がますます豊かになりますように。」フィリピの信徒への手紙1章9節に記されたパウロの祈りの言葉です。ここでは、愛が豊かになるために「知る力と見抜く力」を伴うことが前提に語られています。愛というものは確かに心の問題かもしれません。しかし「知る力」や「見抜く力」がなければ、愛は力を失ってしまいます。
例えば相手のことを知らないのに、その人のことを愛しているといえるでしょうか。知っているだけで、その人が本当に必要としているものを知ろうともしないなら、その人を愛しているといえるでしょうか。愛の本質がその人への関心であるとするならば、相手を知ろうとする思い、相手が何を求めているかを見極める力こそ大切です。
きょうのみ言葉…「わたしは、こう祈ります。知る力と見抜く力とを身に着けて、あなたがたの愛がますます豊かになり、本当に重要なことを見分けられるように。」フィリピの信徒への手紙1章9節10節