ごきげんいかがですか。ラジオ牧師の山下正雄です。
昨日の話の中で「キリストの日」という言葉を取り上げました。それは救いの完成の日であると同時に、最後の審判の日でもあります。その日に備えて、パウロは、キリストを信じる者たちが清い者、とがめられるところのない者となることを祈りました。
この祈りにはさらに続きがあります。「イエス・キリストによって与えられる義の実をあふれるほどに受けて」と。
パウロにとって人が清い者となったり、とがめられるところのない者となるには、キリストが私たちに代わって成し遂げてくださった「義」を信仰によって受け取ることが大切でした。正しい人は一人もいない、と断言する聖書の言葉に打ちのめされたパウロにとって、キリストの義こそが救いの望みでした。この教えの重要さは、16世紀の宗教改革者、マルチン・ルターによって再発見されました。
きょうのみ言葉…「そして、キリストの日に備えて、清い者、とがめられるところのない者となり、イエス・キリストによって与えられる義の実をあふれるほどに受けて、神の栄光と誉れとをたたえることができるように。」フィリピの信徒への手紙1章10節11節
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