いかがお過ごしでしょうか。東京練馬の光が丘キリスト教会で牧師をしております、尾崎純と申します。
クリスマスと聞きますと、華やかなイメージが思い浮かびます。しかし、マリアとヨセフにとって、クリスマスはそんなイメージからは程遠いものでした。マリアもヨセフも、受け入れがたいことを受け入れなければなりませんでした(マタイ1:18-25、ルカ1:26-38参照)。クリスマスの華やかさは、マリアとヨセフの犠牲に支えられています。
キリストの側から言うと、クリスマスは、キリストがご自分を、マリアとヨセフにゆだねた出来事でした。その人がこの犠牲を払ってくれるはずだと、神が信頼して、ご自分を投げ出したところにクリスマスはあります。一歩間違えたら、キリストは生まれてくることもできません。神が人を信頼して、ご自分のすべてをゆだねる、ということがあるのです。
クリスマスでは、マリアとヨセフが選ばれました。マリアもヨセフも、名もない普通の人でした。私たちも選ばれて、犠牲を払いながら、神の働きを背後で支えていくということは、いつでも起こりえます。ただ、私たちは一人ではありません。そこにキリストは、ご自分を投げ出してくださっているのです。キリストは、私たちとキリストが互いに信頼し合って働くことを願っておられるのです。
神様は私たちに今、語りかけておられます。あなたにならできる。わたしがあなたを選んだ。どうかこの犠牲を払ってほしい。あなたになら、お願いできる。その信頼に応えましょう。