おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。
聖書の中に「愛は忍耐強い」という言葉があります。ここで使われている「忍耐強い」というギリシア語は、「すぐに気を荒立てたりしない」というニュアンスの忍耐強さです。
では、なぜ愛は忍耐強いのでしょう。その前に、なぜ人はすぐにカッとなってしまうのでしょう。怒りの感情に走ってしまう場合の多くは、物事を表面でしか見ていないからです。たとえば、誰かが自分のお金を盗んだとします。犯人に対して怒りを抱くのは当然といえば当然です。しかし、なぜその人が自分のお金を盗んだのだろうか、と考えると、場合によっては、犯人に同情すべき点を見出すことがあるかもしれません。そのちょっとしたことが、怒りの感情を抑えるきっかけになります。
愛とは、相手への関心ですから、関心を抱けば抱くほど、相手ヘの理解が深まり、怒りの感情だけがむき出しになることから解放されます。そういう意味では、わたしたちを誰よりもご存じである神だけが、真に忍耐強いお方ということができるかもしれません。そして、神の自分に対する忍耐強さを経験したときに、忍耐強い愛の必要性に、やっと気づくことができるのかもしれません。
きょうのみ言葉…「愛は忍耐強い」コリントの信徒への手紙一 13章4節