いかがおすごしですか。ラジオ牧師の山下正雄です。
聖書の言葉の中に「愛は情け深い」という言葉があります。ここで「情け深い」と訳されているギリシア語は、新約聖書の中には、ここでしか出てこない言葉です。辞書には「情け深い」という意味のほかに、「親切な」という意味もあります。ただ、どちらの訳語もあまりしっくりきません。むしろ「慈しみ深い」と訳した方が良いように感じます。というのも、昨日取り上げた愛の「忍耐強さ」も、きょうのところで言われている愛についての特徴も、神ご自身と深くかかわっているからです。
神はご自分を紹介して、こうおっしゃいました。「主、主、憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち、幾千代にも及ぶ慈しみを守り、罪と背きと過ちを赦す。」(出エジプト34:6-7)まことの神ほど、わたしたちを大切に思い、大事にしてくださるお方はいません。愛である神こそ、慈しみに満ちたお方です。
愛に欠けているわたしたち人間には、誰かをほんとうに大切に思うことなどそう簡単にはできません。ただ、神の慈しみに触れて、自分が大切な存在であることに気が付いたとき、その分、周りに生きる人の価値に気がつき、大切に思う心が芽生えてくるのです。
きょうのみ言葉…「愛は情け深い」コリントの信徒への手紙一 13章4節