おはようございます。日本キリスト改革派の東仙台教会で牧師をしております、尾崎純と申します。
聖書は、神の愛は無償であると言います。しかし、私たちは無償と聞くと、「ただほど高いものはない」と思うのが常です。しかし、この世にも、無償のもので価値のあるものがあります。
それは、車のシートベルトです。現代の車のシートベルトを発明したのは、自動車会社のボルボです。それまでは、シートベルトと言うと、腰の両サイドをホールドするだけの二点式のシートベルトでした。しかし、それでは、衝突の際に上半身が前に飛び出してしまいます。腰の両サイドだけでなく、片方の肩もホールドする三点式のシートベルトは、二点式のシートベルトよりも、はるかに安全性が高いものでした。
けれども、ボルボはこれについて、特許を申請しませんでした。そのため、どの自動車メーカーも無償で、三点式シートベルトを取り付けることができます。無償であるのは価値がないからではありません。価値があるのに、無償にするのはどうしてでしょうか。命を守りたいからです。
神のくださる救いの恵みは、無償のものです。どうして無償なのでしょうか。もちろん、価値がないからではありません。命を守りたいからです。人間は、そのままでは滅んでしまう存在ですが、一人も滅んでほしくないのです。どうぞその愛を受け取ってください。