おはようございます。西鎌倉教会の大木信です。
「自分ルール」に縛られ過ぎてしまって、これまでに苦しんだ経験はありませんか。
私は、10代の頃に結構ストイックにサッカーをしていた中で、この「自分ルール」というものにとらわれ過ぎていた時期がありました。自分だけで完結している間は良いのですけれども、例えば人と比較して、結果が出せなかったりすると、自分を卑下し、家族や周りの人に当たっていた時期もありました。もう少しで、自分で自分を嫌いになる、自分が壊れてしまう、こんな経験もしました。今となっては反省するばかりですが、お聞きの皆さんはいかがでしょうか。
聖書の中にも、実はそういった登場人物が出てきます。「自分は正しい。この人が間違っている。」…自分の秤で人をも量り、またそのように行動してしまう。結果、どんどん周りの人と距離間が出来てしまう。こういう経験は、多かれ少なかれ誰にでもあるのだと思います。
人には、自分の意見を通したい、分かってほしい願望があります。しかし、私にそれがあるように、人にもその願望はあります。言いたいことが言えなくなるのは悲しいけれど、分かり合えないのも悲しい。分かり合える努力と忍耐、そして、お互いに赦し合える心を蓄えて、今日を生きたく思います。