詩編 119編
わたしはあなたの律法を楽しみとします。
卑しめられたのはわたしのために良いことでした。
わたしはあなたの掟を学ぶようになりました。
あなたの口から出る律法はわたしにとって
幾千の金銀にまさる恵みです。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 詩編 119編70節~72節
御言葉を楽しむ
赤石 純也(伊丹教会)
わたしはあなたの律法を楽しみとします。
卑しめられたのはわたしのために良いことでした。
わたしはあなたの掟を学ぶようになりました。
あなたの口から出る律法はわたしにとって
幾千の金銀にまさる恵みです。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 詩編 119編70節~72節
赤石 純也(伊丹教会)
2016年1月の聖書日課をまとめて表示します。
「詩編」の聖書日課をまとめて表示します。
赤石 純也が担当した聖書日課をまとめて表示します。
「わたしはあなたの律法を楽しみとします」(70節)、「あなたの律法はわたしの楽しみです」(77節)。このように繰り返される「律法」とは、この119編の冒頭で、「いかに幸いなことでしょう…主の律法に歩む人は」と言われていた「律法」です。
また、それは詩編全体の冒頭、第1編の「いかに幸いなことか…主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人」のように「教え」とも訳されます。私たちの幸いの基である主の教え、御言葉のことです。
私たちの幸いは御言葉を「楽しむ」生き方にあります。「卑しめられたのはわたしのために良いことでした。わたしはあなたの掟を学ぶようになりました」。
そのようにして私たちの苦難は御言葉との出会いを生みます。今、私たちは御言葉を学びながら生きるすばらしい生き方に移されています。そのことを思えば、そのきっかけになったあの時の苦難は自分にとって良いことだった、と考えることができる幸いがあります。